昨日は、フロイトの「性欲(リピドー)」に関することから老年期の心理について触れ、驚かれたかも知れない。しかし、特別な世界のことではなく、テレビドラマの恋愛ものを見て、自分ごとのようにワクワクすることもあるように、誰しも心の底から理解し合い、喜びを与えてくれるような人との出会いは幾つになっても期待しているのではないだろうか。
参考にしている本(「しあわせな老いを迎える心理学」植木理恵著)では、この事例として67歳のある女性のことを紹介している。駅の東口に停めておいた自転車がなくなり、交番に聞いたら、西口へ行ったらなどと、繰り返したらい回しにされたという悩みだ。詳細は本を読んでほしいが、結論から行くと、この女性は全然別の男性との関係で心の不安が止まらなくなっていたのだ。
私が面白いと思ったのは、「自転車を探して交番でたらい回しにされた」という話を家族や友だちなどにしたら、「考えすぎだよ」とか「もう新しい自転車を買ったいいんじゃない」「何でそんなことで怒るのかわからない」と言われたというのです。そして、著者の植木さんは、カウンセリングでうなずきながら彼女の話をよく聞き、「それはあなた、ずいぶんとつらい目にあったんですね。疲れたでしょう。行き場がなくて悲しかったでしょう。」とポツリと相手の気持ちを代弁するように言ったら、突然倒れ込むようにして、号泣し始めたというのです。そして、4日後、前とは違って凛とした様子で語り始めたのは、「私、好きな人がいるんです。夫じゃない男性を二人愛しているんです。(以下略)」と言い始めたという。
これを私が分析して説明するのは失礼かと思うが、思い浮かんだのは、やはりこの女性は、自分の表に出せない気持ちを理解してくれる人が欲しかったのだと思う。不安・不満を溜め込み、身近な人に言っても、自転車の件のように誰も理解してくれず、ますます心が闇に入っていく。そして、心の休まる人、ワクワクする人と出会ったのに、それもまた人には言えず、不安を積み重ねる状況になっていたのだと思う。結果がどうなったかは別として、この人との相談を重ねて、落ち着きや生気を取り戻していき、「この歳でも人を好きになってもいいんですよね!そうですよね!堂々としていたいです。」と握手を求めてきたという。老年期だけではないだろうが、家族や友達が応えてあげられない世界を誰しも持っているのだと思わされた。(続く)