老年期の心理は「対象喪失」そんなことを考えながら引き出しを整理していたら、勤めていた頃いつもバッグに入れていたメモファイルに金子光晴の詩が入っていた。「若葉」という名前の孫を読んだ詩が合唱曲で有名だ。私のバッグに入れていた詩を紹介して今日のブログは済ませたい。
「おばあちゃん」 金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは
もう二十年近くもねている。
辷り台(すべりだい)のような傾斜のベッドに
首にギプスをして上むいたまま。
はじめはふしぎそうだったが
いまでは、おばあちゃんときくと
すぐねんねとこたえる『若葉』
なんにもできないおばあちゃんを
どうやら赤ん坊と思っているらしく
サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
むかしは、蝶々のように翩々(へんぺん)と
香水の匂うそらをとびまわった
おばあちゃんの追憶は涯(はて)なく、ひろがる。
そして、おばあちゃんは考える。
思いのこりない花の人生を
『若葉』の手をとって教えてやりたいと。
ダンディズムのおばあちゃんは
若い日身につけた宝石や毛皮を
みんな、『若葉』にのこしたいと。
できるならば、老の醜さや、
病みほうけたみじめなおばあちゃんを
『若葉』のおもいでにのこすまいと。
おばあちゃんのねむってる目頭に
じんわりと涙がわき 枕にころがる。
願いがみんなむりとわかっているからだ。