自分と社会を見つめる科学 その17

 成人期についてまとめに入ろう。自分の20〜30代前半を「変な教師」と書いたが、ある意味とても燃えていたというか、教育に情熱を燃やしていたのだろう。それに加えて長野へ戻ってからは、合唱活動で100人近い仲間をリードし、全国コンクールに出たり、世界合唱祭の開催や県の使節団としてウィーンで演奏会をしたりと、今思えばよくあんなにできたものと我ながら感心する。ただ、それにかまけて家庭生活を犠牲にしてしまったのは反省だが。

 成人期は、「夢中になって人生の坂を登っていく時期」とある心理学資料に書いてあった。まさに私にとってもそうであった。そして大事なのは青年期に見えてきたアイデンティティーをより確かにしていくことと、「親密性」を育むことだ。若者が就職した会社を3年以内に辞める割合が非常に多くなっていることや、仕事に悩んで自殺という悲しい選択肢を選ぶことなど、対策が求められる状況もある。大事なことは「孤立化」を防ぐことだ。

 その背景にはアイデンティティーの脆弱さや若者世代の減少による仲間関係の薄さ、数値的な勤務評価など、それぞれの人間性を認められない課題がある。私が新卒校で青年教師3人と楽しく飲み、激論を交わし、そして良いことではないが、納得できない校長をこき下ろしスカッとしていたことは、ある意味上のことを考えるとよかったことだ。

 勤めでも家庭生活でも同じだと思うが、仲間と支え合い、共に高め合い、自我同一性を確立していくためには、「共同注視」が大事だと思う。相手と向き合って、自分を守るために言い合っても解決策も生まれなければ、親密性も育めない。夫婦でも仕事仲間でも、目指すものを共有し、何を選択していけばよいか考えればお互いに理解し合えるようになっていくと思う。仲間は競争相手ではなく、共に戦う同志なのだ。夫と妻も幸せな家庭・良い子育てをする仲間なのだ。自分の分担の仕事を減らし相手に押し付けることではいつかどんな形になるかは様々だが「孤立化」する。

「共同注視」とは、自分と他者とが注視する方向(実現したいこと)を共有することだ。教師としての姿勢や指導法は個性的でも、「子どもを伸ばす」という目指す方向は共感できるはずで、そのために方法は違ったり、分担を工夫することで、目的を果たせるのなら同志になれる。夫婦も同じはずだが、残念ながら身内は「理性」ではなく「感情」が先に立ってしまう世界だ。相手を認める気持ちがないところに話し合いも存在しない。まずお互いを素敵な存在として認め合うことを目指してほしい。次回からは、壮年期(中年期)心理について語っていこう。(続く)