私の思い出を語ることで成人期の心理を理解しようとしている。大学を卒業して願っていた教育の道についたが、迷うことや不安も多く、5月には声が枯れて困ったり、夏休みに入る時、何かすごくやり残したことが多くて迷惑をかけているのではないかと不安になったり、身体共に厳しい感じであった。
青年期に自分中心に強く向けられていた気持ちが、成人期になると周りに向けられ、家族や集団のためという配慮が強くなってくる。親密な人間関係がうまく構築されることが自身のアイデンティティーを確立していくためにも必要だ。
私が入った教員の世界は、校長・教頭以外は年齢の差こそあれほぼ対等で支え合う仕事の場だったことはありがたいことだ。しかも、校長が2年ごとに変わる中で、こんなにも人によって違うのか、学校の雰囲気までこんなに変わるのかといい意味で刺激を受けた。同年代の青年教師3人で毎週意見を戦わせ、同志ができたことも良い刺激になった。
教育はこうでなくてはいけないというものはあるだろうが、それは校長の存在を超えた世界であって、上役の言いなりになるのではなく、目指すものをしっかり見据え、自分自身の努力で切り開いていくものなのだと確信した。
少し前に「命の次に大切なものは“選択の自由”だ」とブログで紹介したが、まさにそれと一緒だと思う。2校目で尊敬する校長と出会って、その後は教育の道を選んでよかったと思い、研究授業はずっと中心にいることが多く、研究の盛んな学校へ行かせてもらった。それだけでなく、納得できないことは相手が校長・教頭であろうと強く反論した。
学校の行事なども大改革した。高原宿泊体験行事は、宿舎ではなくテントに変え、しかもキャンプ場全体が貸切になるところを選び子どもたちに生活を作ることの厳しさを教えた。運動会は赤白対抗でなく、全校を4色の縦割りグループに分け、児童会が大きな運営の責任をもつ主体性を重要視したものに変えた。年配の先生たちもよく反対せずに理解してくれたなと思うほど革新することの好きな「変な先生」だったと思う。(続く)