自分と社会を見つめる科学 その12

 成人期をどのように過ごすかは人それぞれだが、目指したいのは自身のアイデンティティーを持ち、社会にその存在感を示して、充実した日々を過ごすことだろう。しかし実際には、目指すものがしっかりしている人ほど、やりたいこととやらなければならないことのギャップの中で、何かを犠牲にしたり、無理して体を酷使したりなど、テレビドラマのようにハッピーエンドではないものが多い。

 先週触れた家事・育児に追われる妻の立場で考えてみよう。結婚したては、夫婦の愛や自分の夢に心も熱くなる。しかし、子どもが産まれいつの間にか一人で家事に専念し、夫は自分の世界で「忙しい」「疲れた」を連発し、夫婦の心はすれ違っていく。気がついたら40代半ば。可愛かった子どもたちは青年期の入り口。自分の世界に旅立っていこうとしている。妻は、人生の午後をどう過ごしたらいいのだろう。自身のアイデンティティーを見失っていることに気づく。

 もちろん家事や育児は無駄なことではない。高い価値と社会的存在感のある仕事だ。ただ、そのためにやりたくても我慢したり、見ないふりをしてきたことがあるのではないか。自分の大事なものを取り戻せず失ってしまうのではないかと不安になる。

 夫や義理の両親の反対を押し切ってでも働き始めたり、趣味の世界で楽しく過ごす人もいる。逆にギリギリまで我慢して、離婚を選択する妻もいる。夫は、「そんなことをしたら、経済的にも厳しい生活になるよ。」などと不安をあおり、いかにも相手のためにならないということを言って繋ぎ止めようとする。心配しているようだが、単に自分の考えが正しいと信じていて、相手を理解しようとしていない。妻は、人生の午後を迎えるにあたり、一番大切な自分を見失いそうで不安なのに、ますますその不安を増幅する。

 心理学的な視点から言えば、妻の不安や願いを二人で見つめ、夫も支えながら、人生の午後に自分らしく充実した世界を開いてやることなのだろう。しかし、きちんと話し合える夫婦でも、相手の立場というか、相手自身も分かっていない心の問題に向き合うことは簡単ではない。でも世の中には、そんな不安と向き合った人生を送った人はたくさんいる。一人で結論を出さず、愚痴でもいいから思いの丈を先輩に吐き出し、自身を見つめ直してみることも大事だろう。ただし、その相談相手は身内では絶対ダメ。(続く)