自分と社会を見つめる科学 その11

 20歳代半ばから40歳代半ばまでを成人期とするが、ここは社会に出て、自分の生きる道をのぼり続け、家族やいろいろな仲間との関係を育む時期である。課題は、「親密性と孤立」と言われている。その具体事例はさまざまで、扱い出せばきりがない。私の思いつくことを行き当たりばったりで進めるのでお許しいただきたい。

 親密性といえばやはり「結婚・家庭生活」だろうか。私自身も男女の心のつながり支えあいはとても大事なものと思っていたので、結婚はとても早かったし、合唱仲間など周りからも羨ましがられるほどだった。しかし、それに満足してわがままな生活を送ってしまったことは反省している。

 最近は色々なパターンはあるだろうが一般的に大部分の家庭では、結婚すると家計の収入を男が担い、女が家事・子育てを担うことが多いだろう。男の意識は、“俺の働きのおかげで家族は生活できる”と思っている。だから家では「忙しい」「疲れた」と口にし、“俺は大変なんだよ”とか、“頑張っているんだから理解して”と、妻に訴えている。

 妻の立場は、「私も頑張っているから協力し合おう」と夫に言えるのであれば、それなりの展開もあるだろうが、大部分は(共働きでも)家事をほとんど担ってしまう。それは仕方ないとしても、十四五年経つと、人生の折り返し点が迫る中で、「自分の何かを失うのではないか」と不安にさいなまれる。女としてのアイデンティティーが、料理や掃除など家事に徹することにあり、ユーチューバーで活躍するような人は特別だろうが、普通は「こんなことで私の人生が半分終わってしまっていいのだろうか」「子どもたちが離れていったらどうしたらいいのだろう」と不安になる。

 青年期に「自分とは何か」「将来に向け何を求め続けていくべきか」と、自分と向き合ってきた人生から、成人期になると、人とのつながりが大きな要素になってくる。夫が仕事に人生を傾けるのを見るにつけても、妻は私は大学で学んだ時、やりたかったことは何だったのだろうなどと失ったものとして、成人期を振り返るようになる。男はどこまでその不安を理解することができるのだろうか。(続く)