小説“幕が上がる”の主人公さおりの「この舞台の方が現実だ」の言葉が、教育の道に生きてきた自分にとって心に突き刺さる重い言葉だった。
中学生から高校に入る頃まで、素朴な夢や希望は持っているだろうが、さほど切実感や達成するためのビジョンはない。さおりのようにそのことに苛立ちを感じていれば立派な方だろう。先生も親も、その子の希望は問うだろうが、それに共感したり、実現のアドバイスをするより、能力や家庭事情とかを優先し無難な道を提案する。その時に、本人が納得しないと「君の気持ちはわかるけど、現実は厳しいよ。」と、社会のせいにしてしまう。それがどれだけ根拠のあるものかどうかを考えようともしない。
さおりもなんとなく選んだ高校に進学し、そんな自分に苛立っていた。しかし、そこで演劇と出会い、尊敬する先生や、共に泣いたり喜んだりする仲間と本物を求め続ける。その中で、とにかくいいものを創り出すために、真剣に取り組むことそのものが現実であり、自分自身なのだと気づく。そして、自分の可能性は、自分自身が歩み続けることでしか見えてこない。無限大という言葉は、銀河鉄道の夜に刺激されたから出てきた言葉だろうが、終着点の駅など誰も決めてはいけないものだと気づく。「現実」とは、自分を取り囲む塀ではなく、周りの人間が勝手に使っているだけだ。本当の「現実」は、自分の心と向き合い、今真剣にやりたいことの中にある。そこで共に問い合う仲間、ぶつかる社会にある。それこそが進むべき方向を示してくれる。
アイデンティティーは、「選択する自由」を大切にし、自分の持ち味を生かすために日々をどう過ごすか考えて行動するところに存在する。
青年期の心理発達のために、何か真剣に苦労を厭わず取り組めるものが大事がと思う。私の次女は、女優になると宣言し東京の高校へ進学した。その中で舞台に立ち、役をもらいながらも悩む。自分を表現できず、決められたことしかできない駒(兵隊)であることに。新しい世界を求めて留学し、好きだった英語を活かせる国際学科へ転向する。大学なんか行かないと言っていたのに、方針を変えて国際理解関係の大学に入り、一流企業に就職する。そして、良い営業成績を上げているにもかかわらず3年ばかりで辞め、自分で起業するという。終着点の見えない旅かもしれないが、自分で道を選ぶ強い思いは、「選択する自由」を大切にし、結果は絶対出すという強いアイデンティティーに支えられているように思う。大人のできることは、それを理解し、見守り、ささやかな支援をすることしかない気がする。
いよいよ次回からは、大人の心理研究に入っていこう。(続く)