自分と社会を見つめる科学 その8

 私は、「学校では学べないことをこれからもたくさん求め続け、宝物をたくさん見つけてください」という言葉でサマチャレ参加者へのメッセージをまとめたと前回このブログに書いた。その宝物とはなんだろう。

 6年ほど前になるが、産業教育振興会に頼まれて、地域の会社経営者や高校の進路指導教諭の集まりで講演をした。青年期の若者たちへのキャリア教育についてだ。その中で当時評判になった平田オリザの「幕が上がる」について取り上げた。先日の「キネマの神様」と同じで、原作の小説を読み感動し、ちょうどその時期にももクロが出演する同じ名前の映画も見た。またゆっくり紹介したい気がするが、今日は、高校生の現実とはに触れた部分だけ紹介しよう。「 」の文は小説からの引用です。(※講談社文庫本のページ)

 

〈「銀河鉄道の夜を原作にした演劇の終盤、袖から舞台を見つめる小説の主人公さおりの心の声〉

「中学2年生くらいから高校1年生くらいまで、だからえっと、13歳から15歳くらいまで、確かに私は、何かに苛立っていた。それはみんなそういうものなのだろうけど、でも、今ならその苛立ちの所在が分かる。……私は何ものにもなれない自分に苛立っていた。」

「もう少し勉強すれば、地域で一番の進学校にも行けたのに、通学の長さを理由に、行きやすい今の学校を選んだ自分が嫌いだった。……演劇は、そんな私がやっと見つけた宝物だった。」(P326〜327)

「この舞台には『等身大の高校生』は一人も登場しない。たぶん、そんな人はどこにもいないから。現実の世界にも、きっと、いや絶対いないから。」

「私にとっては、この一年、演劇をやってきて、とにかくいい芝居を創るために悩んでだり、苦しんだり、友だちと泣いたり笑ったり喜んだりしたことの方が、よっぽど、よっぽど現実だ。この舞台の方が現実だ。」(p 329)

「そうだ!高校二年生の時の滝田先生の現代文は、夏目漱石の三四郎を読む授業だった。『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より‥‥、日本より頭の中の方が広いでしょう』… そうだ!私たちは、舞台の上でなら、どもまででも行ける。どこまででもいける切符を持っている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。」

「どこまででも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か他人が作ったちっぽけな『現実』なんて、私たちの現実じゃない。」

〈別れの場、ジョバンニがカンパネルラに語りかける台詞〉

「カンパネルラ、僕には、まだ、本当の幸せが何か分からない。宇宙はどんどん広がっていく。だから人間はいつも一人だ。つながっていても、いつも一人だ。人間は、生まれたときから、いつも一人だ。でも、一人でも、宇宙から見れば、みんな一緒だ。みんな一緒でも……みんな一人だ。」(P332)

 

 青年期の心に広がる無限の宇宙。自分と向き合い歩み続けるけど、自分の前に広がる星空のような人生。一人で答えを求め続ける混沌とした日々。だからこそ、周りから「将来どうするんだ、現実は厳しいぞ」などと言われても、何も見えてこない。ただ、さおりが舞台に真剣に向き合い、仲間と理想を求め続けたからこそ見えてきた本物の現実。そこに答えはないけれど、確かな一歩を歩み出した一人の若者の人生がこの小説にはある。将来どんな仕事を選ぶかではなく、何か本物を求めようと仲間と問いあったからこそ見えてきた自分の宝物。なくしてはいけない大事なもの。

 今、目の前にいる若い人たちにどんな言葉をかけたらいいのだろう。流れに任せて見守るしかないのだろうか。(続く)