自分と社会を見つめる科学 その6

 長野市ボランティアセンターのサマチャレ(夏休みを活用したボランティア体験)について、昨日まではとても良い生徒たちの反応を例にあげ、アイデンティティの確立に関して、直接人間関係のない他者と接する機会、そしてその人のために活動する体験が有意義であることを紹介した。もちろんすべての参加者がそのようにレベルの高い体験をしたわけではない。受け入れ側の感想も読ませてもらったが、中には、「参加者により、意欲の差が見られた。学校側から課題等として参加している方は特にやらされているという思いで望まれている人も……」というようなものもあった。

 こういった課題の改善を図るのも運営側の大事な仕事だろう。私が運営委員になったばかりの頃、サマチャレの報告や今後の方向を話し合うグループディスカッションをしていた時、ボランティアセンターのスタッフの人が、「毎年お願いはしているのですが、なかなか向上が見られなくて」と参加者の意識について悩みが語られた。私は、参加者を送り出す学校側にいた人間なので、それを聞いて「あれ?」っと思った。基本的に参加者は毎年新しい生徒たちだし、学校側の担当者も結構交代する。だから、毎年同じことでもよく伝達して、実施した経験を通して理解して頂ければ良いのではないかと。それによって、間違いなく体験した累積人数は増えるし、先生たちにも理解者が増えてくる。この事業の成果をもっと体験した生徒たちの言葉で受け止めていったらどうかとも発言した。

 次の年から、参加者の感想を元に反省が成果と課題として資料にまとめられた。私は、もっと具体的な生徒の言葉を知りたいとお願いした。その生徒の言葉をどう読み取るか、そこに次につながる良い材料もあるように感じたからだ。年々そういった参加者の言葉が詳しくまとめられるようになり、次第に事前の説明会や事後のまとめの会が意義を持つように変化してきた。

 事前の説明会で、単に参加の仕方などを説明するのではなく、ボランティアの意味を知り目的意識を高めることや、参加した先輩たちの感想を紹介してもらうことで、自分にとってもうれしい体験にしたいと意欲を膨らめることができるようになってきたように思う。「自分も出会った人の気持ちを理解して喜んでもらえるような仕事をして、うれしい気持ちになりたい」などと、単位を取ることよりも、自分と相手のためによいサマチャレにしたいと思うことが、青年期の心理発達のために重要だと思う。コロナ禍のため、事前事後の会が一堂に会して行うことが難しいのが残念だが、資料のやりとりだけでも、感想を読む限り運営側の思いがよく伝わってきていると思う。(続く)