自分と社会を見つめる科学 その3

 自分はこんな人間と、アイデンティティについて考えていたら、私もけっこう他の人との会話で、血液型のことや星座占いのことを話しているなと思った。YouTubeで時々手相のことも面白がって見ている。でも思い返してみると、自分の良い点と思われることは印象に残り、良い方向につながっていくが、欠点と思えることはあまり見たくも聞きたくもない。これはある意味とても危険で注意が必要なことだろう。

 血液型で人間の種類を分類するような分析をよく目にする。日本人はその傾向が強いそうだ。「自分はO型だからけっこう◯◯だよ」とか「あの人はA型だから◯◯だね」など、良いことを認めるような言い方ならともかく、「あんなことをするなんて、あの人はやっぱり◆型だね」など、否定的な言い方は危険だ。相手をある側面からしか見ないという偏りを生む。ちなみに、血液の種類は、細かく分類していくと何千種類とあるそうだ。

 そういった占いのような性格分析は面白いので、自分を理解しようとしてやるのは良いだろう。長所と思われることを、いい意味で実践に結びつけ、逆に短所と思えることをどのように良い方向へ転換していけるかと、ある意味ポジティブに楽しめれば良いと思う。心配なのは、「どうせ自分は◯◯だから」とネガティブな材料にして、やる気を失ってしまうことだ。

 最近の意欲のない若者の心の発達について、親や教師など周りの大人の「刷り込み」に原因があるという研究がある。なかなか褒められないだけならともかく、少し失敗すると「またお前は……」と過去の例まで出して怒られたり、人間性にまで触れてダメを出されたりすることの積み重ねで、「自分は◯◯は苦手な人間」と思い込みを強くしてしまう。

 確かに、個性ある人間なので、同じ失敗を重ねてしまうことはあるだろうが、それを欠点として刷り込んでしまうと二度とその思い込みから抜け出すことはできない。ただ、逆に親の立場からすると、繰り返す失敗に対して、いつも1回目と同じように原点に返って温かい言葉で対応できるかといえばそれも難しい。

 昨日扱った心理学者エリクソンは、人生を八つの段階に分けたが、四つめの学童期(9〜12歳ごろ)は、学業やスポーツなどがうまくいかずに感じる「劣等感」が危機で、それに対して努力などが報われる体験などを通じて「勤勉性」を獲得できるかが大事なポイントとしている。いかにその子が熱心に取り組めそうなことを見つけ、その努力を成果として自身が受け止められるように周りが支えられるかが重要だろう。ただ褒めれば良いというわけではなく、本人が自分を承認できる場面をいかに整えられるかだ。失敗はして当たり前。学童期を無事過ぎればそんなことは良くなると親が信じ続けられるかだ。(続く)