自分と社会を見つめる科学 その2

 「もう一人の自分」とか「自分を見つめる」という言葉をよく使うが、別人格が一人の人間の中にいるということではなく、自分の行為や考え方を、客観的な視点から整理してみるということだろう。「アイデンティティ」という言葉も何回も使ってきたし、読んでいる本にも頻繁に出てくる。まずそこを整理してみよう。

 「アイデンティティ」は、心理学では「自我同一性」と訳され、「自分とはこういう人間である」と自覚でき、かつ「現在の自分と将来の自分とが同じ存在である(同一である)」という実感を得ることと説明されている。

 ユダヤ系ドイツ人の心理学者エリク・エリクソンが、子どもだけでなく大人になっても心の発達は続くと、生涯を通じた心の発達を八つの段階に分けて説明した。その中で青年期(思春期)の課題として「アイデンティティ」の概念を提唱した。この論によってエリクソンの名前は広く知られるようになった。アイデンティティを確立することができなければ、自分が何者であるかが見いだせずに不安になり、社会の中で自分を位置付けることができなくなる。これがエリクソンが青年期を迎える危機だと考えた「同一性拡散」という。

 一般的に青年期は非常に不安定な時期であるという見方が強い。欧米では「疾風怒濤」の時期と言ったり、アンナ・フロイトは「青年期に普通でいることが異常である」とも言っているそうだ。ただそれには反論もある。私自身のことを考えても、中学から高校にかけて、大きな人生の転換点ではあったと思うが、それなりに学校や学びは楽しく、合唱と出会って仲間と求め合う面白さを身につけ今でもそれが自分の中心にある。受験などでイライラして、家庭生活では弟に厳しく当たったこともあり反省しているが、基本的に荒れている感じではなかった。

 調べていくと、日本や中国など非西欧系社会を対象にした比較文化研究データでは、青年期が相対的に平和で平穏な時期であると示しているらしい。日本の80〜90%の青年は家庭を「楽しく」「快適に」過ごせるところと述べ、親との肯定的な関係を報告している。ある著者によると、西欧文化の親は10代の青年を権利と責任と培っている成熟中の大人というより、子どものように扱う傾向があり、青年たちは親の制限に反抗し反社会的な行動を取るかもしれないと指摘している。

 それをもとに考えると、日本でも、親が青年期の子をある制限のもとに扱うと、反抗や反社会的な行動になる可能性があるということだろう。子どもの大学受験や将来の仕事について、ある限定した枠(例:◯◯学部)でなければ支援しないなどと、口では「自分で決めろ」と言いながら、他の選択肢を与えないことが、アイデンティティクライシスを生む可能性がある。

 また「命の次に大切な選択の自由」に話がもどってしまった。(続く)