10月9日の講演レジュメの締め切りで、昨夜はブログを休みました。
資料をまとめている時、思い出し、講演の中でぜひ使いたいと思った経験がある。ある中学校の学年主任をしていた時の思い出だ。当時、行事の精選ということがよく取り上げられ、学校の年間計画の中で、取りやめたり内容を縮小できるものはないかとよく話題になった。
ある時の学年会で、毎年やっている野外宿泊体験学習(キャンプ)について、ずっと2泊3日でやっていたのだが、1泊2日で良いのではと係から提案があった。いろいろ考えが出たが、多くの意見は1泊2日に傾いた。私は、学年主任だったが、「みんなの言うこともわかるが、私のわがままだと思って、この学年は2泊3日でやらせて欲しい」とお願いした。詳細は紹介できないが、山へ行って2泊して楽しく過ごせた。
私は、親に「行ってきます」と言う1日目と、「ただいま」と言う2日目だけでなく、親から離れて、自分たちで考えて生活を作り出す真ん中の日を作りたかった。クラスの壁をなくして、どのように過ごすか計画を立てさせた。木登りする班、落ち葉や枝で工作する班、自分たちで考えた山でできるゲームの班、いろいろと自分が選択した内容で楽しんだ。先生にお膳立てされた時間ではなくて、自分たちが作り出した時間を過ごして欲しかった。
もう一つ、夜寝る前に集会を持って、振り返りや連絡の時間を設けた。当番を決めて、先生たちの言葉ももらった。ほとんどの先生は、「明日はこういうことがあるから、こういうことに気をつけましょう」とか「こういうことを頑張りましょう」で済ませてしまうのがほとんどだった。私は、学年主任として見本も示し、先生たちにお願いした。今日を振り返って、頑張った生徒の姿や、うれしかったことをぜひ伝えて欲しいと。
例えば、「今日、炊事の後見回りをしていたら、◯◯さんが、散らかった新聞紙や道具を片付けてくれていました。火の始末を上手にしてある班もあったね。山の共同生活の大事なことにちゃんと気づいてくれていてとてもうれしかったです。」といった具合だ。生徒たちは、これを聞くと自分を振り返るようになる。先生はちゃんと見ていてくれるんだとうれしくなる。明日は、自分もいろいろ考えて行動しようと思うようになる。2日目は、親から離れて、自分で生活を選択して作り出していく時間だという自覚がふくらむ。先生に言われたから守るのではなく、自分が自分の先生になる。教育では、このもう一人の自分を育てることがとても重要だと思う。
先生たちも、一日を振り返って、生徒の育ちの姿を紹介すると思えば、目を凝らして生徒を見るようになる。良い姿は気をつけて見ていないと見つからないものだ。生徒の良い姿に気づける教師は、生徒を良い方向へ導ける先生だと思う。
タモリの「前を向いて歩いたって、つまんないよ。後ろを振り返った方が『あれが楽しかった』ってたのしいよ」「明日のことを語るヤツはいるけど、昨日までのことをきちっとやれる奴はほとんどいない」という言葉の意味するところは、上に紹介したことと重なるのではないだろうか。(続く)