「選択する自由」というと、美味しそうなショートケーキをいくつかいただいて、「お父さんどれにする?」なんて聞かれることを思い浮かべるのが普通かな。もちろん、自分の好みのものがある人は、選ばせてもらえることを喜び、遠慮しつつも「これもらっていいかな」と選ぶかもしれない。特に好きなものがなかったときは、「いいよ、先にとって」などと、権利を譲るかもしれない。
でも待ってほしい。この場面で、大事なことはどのケーキを選ぶかということだろうか。「選択の自由」に気づいているか気づいていないかが重要だ。それによって、うれしいことが次々やってくる人もいれば、それに気づいていないために、だんだん面白いことがなくなってしまう人もいる。ケーキを選ぶことも選択だけれど、その時、「自分が先にとっていいのか」「誰かに取らせてあげたほうがいいのか」などと考え、自分の行動を決める。それも「選択の自由」があるということだ。
「お父さんどうぞ」と勧めてくれる家族は、そういう良い関係作りを選択しているということだ。同じお父さんが先に取るにしても、家族の理解もなく勝手に取ったり、中には、自分だけたくさん食べる人もいる。そのお父さんが、そういう道を大事だと思って選択しているというのなら仕方ないが、問題は、命の次に大切な「選択の自由」に気づいていないことだ。
どんな学校を選ぶか、どんな会社に入るか、どんな仕事を受け持つか、簡単に選べるようなら苦労しない。昨日のタモリではないが、現実は選びようがない場面も多い。だから、若いうちは「いろいろくる仕事を全部一応やってみることも大事だ」と言うのだろう。大事なのは、その体験から本人が何を選択し、次の人生につなげていくかだと思う。
教員が朝の交通指導当番が回ってきた時、「朝弱いんだよな」「忙しい仕事あるのに」などと悩むことはあってもいい。しかし、「仕方なしに当番をやる」という選択をしてはいけない。「どうせやるなら、子どもたちに挨拶をしっかりしよう」とか、「高学年で小さい子の世話をしてくれている子を見つけて褒めてやろう」などと、仕事の仕方を選択すれば、子どもたちの笑顔にたくさん出会えたり、アイディアをたくさん提案してくれる児童会の役員を育てることにつながる。そうやって幸せが循環してくる。自分や自分のそばにいる人と素敵な関係を築いていけるのだと思う。ただ、気をつけて欲しい。とても他人思いの優しい人が、世の中で最も幸せな立場にいたり、逆に最も辛い立場にいるそうだ。無理はしてはいけない。それも「選択の自由」があるということだ。(続く)