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熟成するシニア世代 その14

 昨日紹介したK.Bホイトの「働くこと」論の最初の項目は、「キャリア教育は、教育関係者のみによってなされるのものではなく、社会全体の運動である」と語られている。単に社会人として若者をより良い勤労分野に導くかだけでなく、全ての人にとって「働くこと」の意味づけを見届けることで、生きがいというか、生きていることそのものを見つめる大事な運動であるということ。そしてそれが社会をより良いものしていく大きな働きを持っていることを言いたいのだろう。「働くこと」が社会的な関係の中でとらえられ、それがその人個人の社会的な意義と存在価値につながるという関わりの中で意味づけられていることは明白だろう。(一部引用)

 「働くこと」について、何回か「キネマの神様」を利用して説明してきたが、私自身、中学・高校そして大学と趣味で始めた合唱が、音楽教員免許を取り、いつの間にか自分の教員として「働くこと」の大きな部分を占めることになった。次第に、合唱指導研究する中で、生徒自らが自分の思いを見つめ、表現に主体的に結びつけることが重要だと確信した。それが先日の「駒感覚」「差し手感覚」のことであり、一人一人違う自分の感性を大事にし追求させたいと願い研究を深めた。

 次第に附属学校で教員養成を担う仕事や管理職として職員指導、研究会講師を重ねる中で、私の研究は合唱だけでなく、全ての学びの場面で重要であることが見えてきた。他の教科の研究授業は、例えば理科の実験のように、教材研究をしっかりし、生徒が興味を示し結果を残しやすい段取りをすれば、良い成果を得られる。しかし、音楽は、生徒の心の内面が対象に向き合っていないとなかなか本物にならない。生徒自身が自分が表現することに立ち向かおうとする意欲をいかに育むかが大事で、その授業・単元だけよい準備をすれば良いというものではない。教師の日頃の言動も含めて、考え方・生徒との向き合い方が問われるのだ。嘘はつけないのだ。

 このM I C教育心理研究室は、正式には、“Mitsuki Incentive Culture”といい、Incentive(やる気)をCulture(育む・耕す)という思いを込めて始めた。私にとってこの仕事を通して自分の生き方を見つめ社会に貢献し、私自身の社会的な意義と存在価値につながることが最も大きな願いで、今このブログを書いていること自体が、まさにそれにきちんと向き合っている。ただ、あまり自分のことを並べたてても読者にとっては自慢話のようにしか聞こえないだろうから、社会的に話題になっていることと結びつけながら頑張って発信していきたい。(続く)