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熟成するシニア世代 その12

 高齢者の学びを「つながり」の側面から一昨日(その11)は探った。高校時代の友人の目指すものは、「悠久的なもの」私は「社会的、他者とのつながり」と、違う側面に立つと説明した。しかし、私の立場も視点を変えれば「悠久的なもの」を目指す側面だ。社会教育主事の資格を取るために大学で学び直し、実際の現場で公民館活動を見つめ、地域にレベルの差こそあれ、熱心に取り組む人たちを育てることがとても重要だと経験した。だから私も自分の仕事と趣味の中心にあった合唱活動に運営役員として参加している。実際の活動団体を支えることがどれだけ大事か、また難しいか当事者として経験している。なんとなくではなく、いかに本物を目指すか評論家的な言動では済まない世界だ。

 キネマの神様の映画の方は、青春をかけた「過去の自分」の夢が、とても価値の高いものだったと孫に花を咲かせてもらう。このように自分の歩んできた人生を見つめ直し、高齢期を充実したものにする生き方や、それを認め支えてくれる家族や仲間の社会的な側面も大事なつながりの側面だ。ただ、できればそれを「嬉しかったこととして済ませる」のではなく、自身のアイデンティティとして、一生を通して自分自身の存在の中心を見つけて欲しいものだ。

 映画を愛した自分が過去のものではなく、面々と守り続けたものが何か。他の人とは違う自分らしい光、それが今でも誰かを温かくする力を持っていること。このブログの題名「熟成する」は、そこにあるように思う。私の目指す結論はほぼ記してしまったが、9月後半は、さらに具体的な学び・活動の場であるべき姿を見つめていこう。(続く)