シニア世代の関心事個々の分析は後日やることにして、今日は、昨日触れた「自己中心性」について考えてみたい。
2001年の「シニア世代の関心事と価値意識」調査では、自分の生きている意味を、他者(仕事関係・家族・趣味仲間など)と結びつけることによって感じ取っている傾向が見られるとのことだ。その上に立って、自分のやるべきことやそれに向かう気持ちを見つめ、人間としての生きがいを感じ取っている。自分が他者から認められ、社会に存在する意義を感じることで満たされていくという傾向が見られたのだ。「いろいろな人のおかげで」とか「社会への恩返し」という言葉に象徴されると言えばわかりやすいだろうか。
2001年調査の対象となった戦前・戦中生まれの世代に、次の調査で戦後ベビーブーム世代が加わっていくことで変化が見られるようになる。2007年調査では、関心事としてはほぼ同じだが、社会関係に依存するというより、自ら社会に働きかけ、自分の満足を得ようとする傾向が強くなっている。難しい説明になってしまったので、私の例につなげて考えてみよう。
教育の道で生きてきた私は、退職後市教委に嘱託職員として入り、学校教育から社会教育の世界に足を踏み入れた。大学で集中講義を受け、社会教育主事資格をとって地域の公民館活動に関わった。その中で、単に組織の駒として毎年決められた仕事をこなす毎日よりも、もっと自分のこだわりや関心のあることに沿って学び、自分でやりたいことを実践することで社会と関わりたいと思った。43年間、組織の一員として働いてきた人生とは違うステージで自分の生き方を試してみたかった。
勤めも社会と関わりも大事だが、上述のように、自分から社会に働きかけて、自分の満足を得たいと考えた。自分の名前を被せたこの研究室をスタートさせ、公民館講座や講演会講師、趣味を生かした合唱指導などに取り組んだ。さらにホームページを持ち、ブログで研究を発信することで、仕事も舞い込んでくるようになった。
現役時代、音楽指導を後輩に指導する時、大事にした内容に「駒感覚」と「差し手感覚」という言葉があった。子供たちに、「もっとこうしなさい」と教師が指示ばかりして、時には「なんでこんなことができないの」と叱責することもある。子どもたちを教師の「駒」のように扱うのではなくて、それぞれ個性的な感性を活かして、その子らしい表現をいかに引き出すかを大事にしてほしいということだ。一人ひとりの子が、「差し手」として、自分のゲームを進められるように、個の感性や考えを生かし表現する力をつけてほしいということだ。自己中心性というと何かみんなが勝手な思いで、自分さえ良ければと思われてしまいそうだが、これからの世代が、自分らしいスタイルで「能動的アクター」として社会的に生きていく姿を大事にしたい。(続く)