主観年齢に関して、若い世代との交流に触れたが、単に年齢が若ければよいということでもない。若ければよいのであれば、私は中学生の部活動指導をしているので、こんなありがたいことはないはずだが、時折考えさせられる。1・2年生の時、あんなに仲良く戯れあって楽しそうだった生徒が3年生になって難しい顔や困った顔をするのだろう。進路・受験と重みが増し、青春期心理の不安(自己の確立準備期間)な状態で、いい意味で悩んでくれるのならよいが、仲間関係で孤立感を持ったり、自己否定的な状態になる例も多い。部活動という限られた時間だけの付き合いなので、一人ひとりの日常の生活を見ることができないのでつかみにくく、私自身もやや精神的に弱気になってしまう。
逆に、指導している大人の合唱団は、だいぶ高齢者が多いが、自分たちで仲間を集めて団を作り、指導者を雇うような意識を持った人たちなので、ある意味励まされる。冗談を言っても明るく受け止めてくれる。
自分の年齢を実年齢より若く感じながら生きるということは、相手の年齢も大事だが、やはり若々しく生きているその活動力のあり方にポイントがありそうだ。大学時代からお付き合いがある飲み屋さんに今でも定期的に行くが、このコロナウイルス騒ぎで、お客は私一人という貸切状態がほとんど。それでも店を開けているエネルギーには感心させられる。繁盛している居酒屋で一人寂しく飲むのとは違って、ずっとお店の人との会話が続き、とても楽しく過ごせる。
居場所というのは、単に平和に過ごせる自分の部屋もそうだが、やはり自分の力が活かせる指導の場だったり、話を盛り上げてくれる聞き手のいる店だったり、一緒に楽しいことをできる仲間がいることが大事なのだろう。身体的な老いについてこれから研究していくが、その健康長寿を果たすためには色々な居場所づくりが背景にあってのことのように思う。