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老いの研究 その3

 80代ごろになると心身の不調などで、それまで自分を実年齢より6〜7歳若めに感じていた人に揺れ動きが生じる。「自分はもう若くない」と答える人にも、2種類あって、あまりそんなことを気にかけずマイペースで安定した気分でいる人と、老いに対する適応が弱くなってきて、物事に消極的な気持ちが優先してしまう人だ。

 昔は、子・孫どころか4世代以上が同居し、年寄りなりに家事や畑作業などがあり、若い世代との共同生活だったが、今は老老介護という言葉が示すように、限られた世代での生活が主になってきている。

 高齢化が進む団地で、学生やまだ若い家族に比較的安い家賃で住まわせ、その見返りに地区の行事への参加を課し、世代の交流を図っているところがあるそうだが、大事なことだと思う。遠くの親戚いより近くの他人で、それぞれが役目を分担して交流することで、ありがたさを互いに持てるのはよい方法だと思う。

 三輪小学校で校長をしていたときに、保護者から、参観日に学級懇談会などに参加するのに、学年の低い子を世話してもらえないだろうかとの要望が出た。私が地区の年配の人たちに相談したら、快く仲間を募って、図書館で子守りをしてくれた。一般の人に丸投げするわけにはいかないので、専科等の手の空いている教員一人に当番で参加してもらい、大勢の子育て完了した女性陣に子供の世話を協力してもらった。話し相手になったり、本を読んであげたり、折り紙をしたり、とても教員一人ではできないことをしっかりやってくれた。けっこう有り難そうにやってくれたのは、上で触れた老いの研究に直結することだろう。なんとか世代を超えた交流や助け合いの場を設けていきたいものだ。