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幸福な老い 居場所づくりその4

 自分の居場所は自分の勤め先、過ごす部屋、家族色々な捉え方がある。社会的な存在場所はあまり口に出さないけれど重要なことだろう。勤めをやめ、隠居部屋のような狭いひと部屋を与えられ、家族のお荷物扱いをされ、会話する相手も減っていき、テレビを見てただ過ごすそんな人生の終末期を過ごすことは誰でも嫌だろう。他人事のように思っていてはいけない。

 では、どんなふうに老齢期を過ごしたらいいのだろうと提案するこのホームページだが、ちょうど先ほど長野市ボランティアセンターの担当者から電話をいただいた。生涯現役社会の関係で市の事業の運営に関わっているが、10月ごろ行われる事業の講師か助言者のような仕事を受け持ってもらえるかとの問い合わせだった。

 その内容について電話しながら、ふと頭に浮かんだのは「パターナリズム」と「愚痴(うまくいかないことの理由を見つけたがる心)」のことだ。シニア世代の人にまず伝えたいのは、自分の過去の経験やお得意なことを活用するのはとても大事だが、それにしがみついて、こうでなくてはいけない式に、後輩の世代に押し付けてはいけない。ただ、“パターンを押し付ける”ことはいけないかもしれないが、なぜそれを大事にしてきたか、その原点に帰って、物事を考えると、新しい時代にあったものに活かしていくことはできる気がする。

 うまくいかないと悩みや愚痴を言うのは良いが、すぐ、「〇〇だからだめなんだ」とうまくいかないことを他人や社会のせいにして、理由が分かったと安心して自分のありようを見つめ直さないのも心配だ。

 しかし、そんなことを理論的にシニア世代の人たちに話したところで、「あなたは講話をしたり、合唱指導をしたりお得意なことがあるからいいけど、わたしには無理。」と言われそうだ。具体的に事例を加えないといけない。それは、中学校で限られた部員の指導で苦労した話や、順調にみえる一般合唱団運営でも色々な苦労があることは紹介できるが、どこまで伝えられるだろう。

 退職して例えば身体を動かして筋肉の劣化を防ぐのは大事だと誰でも思っているだろうが、その自己管理が、「重要な意味がある」「やらなくてはいけないからやる」では、続かない気がする。やはり大事なのは、「楽しいからやる」「褒めてくれる仲間がいる」などポジティブな要素があるからこそのように思う。長野県の人は結構真面目で、健康意識が高いので長寿県として知られるが、逆に若年層の自殺率が高い。何か、「やらなくてはいけないからやる」「こうしなくてはダメだと親も先生も言う」と意識の持ち方に「つらいことを頑張る式」の風土が重い気がする。これもさっきのパターナリズムに通じるのではないだろうか。

 どうしたらシニア世代の「美味しい熟した魅力」を発揮できるか、10月までに深めていきたい。