退職して「老い」を現実として向き合う時、3つの大きな変化の要素があることは以前触れた。「心理的変化」「社会的変化」「身体的変化」の3つだ。今後人生100年時代といわれる今までとは違う人生設計が求められる時代で、退職の意味も大きく変わっていく。
私は校長を退職して嘱託職員の待遇で社会教育主事という立場で公民館等に関わる仕事をさせてもらった。学校教育から社会教育へ、対象も大人たちへと広がり、仕事の意味というか価値は大事なものがあると思った。ただ残念に思ったのは、組織の一員として工夫の余地のほとんどない与えられた仕事をすることと、スチールの机とパソコンにほぼ毎日向き合うという生活になったことだ。あらためて教員として学級経営、生徒指導、子供たちに喜ばれる授業作りに自分の能力を精一杯発揮しようとしていた頃の面白さが思い出されてきた。教室も居心地良く、子どもたちのエネルギーが高まる環境作りに配慮し、自分の個性を活かせるようまた日々自分の能力を高めるよう学び続けることができた。
最近は退職して待遇こそ格段に落ちるが、それまでの経験や能力を後輩たちに伝える職でベテランを活用する会社もあるそうだが、大事なことだと思う。人生に一区切りつけた人たちは、儲けることよりも自分の価値を認めてくれる場をとても欲していると思う。シニア川柳をこの頃YouTubeで見て楽しんでいるが、「ボランティア するもされるも高齢者」とか「欲しかった 自由と時間持て余す」など、おかしいけれどちょっと寂しいものがたくさんある。色々な意味で高齢者は頼りにしてほしいと思っているはずだ。
ただ、気をつけたいのは「パターナリズム」自分の経験や考えが一番だという姿勢が強く、時代の変化や状況・相手の様子に対応できない例は多い。地区の役員など、年配者が多いが、柔らかい頭で職に当たりたいものだ。