我が家の改造計画が完了し、今はそこに並べるたくさんの本や資料など、長い教員人生で溜まったものの整理をしている。長いことブログを休憩していたが、その作業と並行して再開していこう。
「幸福な老い」とテーマを立てて進めてきたが、自分自身の問題としてあらためて見つめてみると「自分の居場所」の安定が私にとってはとても重要なこととしてある気がする。担任として自分の教室、音楽専科教員として音楽室、校長として校長室、いずれも使いやすく、落ち着いて仕事に取り組める場づくりに取り組んできたように思う。校長室には自分の大事にしている教育書や研究物を運び込んで、引っ越しのたびに「ずいぶん私物を運び込んだものだ」とやや反省した。昔の教え子からは「先生の音楽室はいつも片付いていたよね」と言われ、よく見ていてくれたものだと嬉しかった。
逆にすぐ溜め込むので資料が増えて、所属する会の会報などは、ろくに読まずにファイリングしてしまうことも多かった。城山小で校長先生から教育会の会報で見たいのがあるが見つからないと言われたので、音楽室に整理してあったのを見つけて届けたが、感謝の言葉とともに呟きで、「案外しっかり保存している人は読んでないんだよな」と聞こえた気がして、「え?なんですか?」と聞き直したら、「あっ、ごめんいいよいいよ」と言って教えてくれなかった。今思うと私の聞き間違いではなかっただろう。
今回も合唱の楽譜の整理をいく日もかけて行ったが、ずいぶん同じ楽譜のコピーがあちこちから出てきて、大きなゴミ袋ひとつ捨てた。今は、あいうえお順に合唱種別にファイルして、すぐ見つかるように、また、使い終わったらすぐ返せるようにしている。
落ち着いて机に向かい、ブログを書く気持ちに余裕が出てきたのは、そんな作業の結果だろう。この場所そのものの居心地など「退職後の自分の居場所」づくりは大事な取り組みのように思う。(続く)