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幸福な老い 身体編その2

 前回、50代の半ば、かなりハードな仕事をこなしていた時に倒れたことを書いたが、それ以後「死」は自分ごととして身近に考えるようになった。校長として現場に戻ってから、もしもの時のことを考えて準備をするようになった。校長として、また、校長会のリーダーとして自分が担当している重要な仕事を途中でできなくなった時、どれほど他の人に迷惑をかけるかを考えて対策を用意した。

 附属で倒れた時は、自分が副校園長会の代表だったので人事も含めてたくさんの情報を持っていた。たまたま、頭は打ったけれども意識や記憶はしっかりしていたのでよかった。家族以外面会できないH C Uへ教頭に身内のような顔で来てもらい、パソコンを開ける方法を教え、副代表立会いのもとデータを起こして、引き継ぐように指示した。もし意識がなかったら、大勢の教員たちの人生に関わる大変な仕事をストップさせることになっていたのだ。

 その後は、封筒に重要な情報の取り出し方を記したメモを入れ、封をして金庫に入れ、教頭に、私にもしものことがあったら、関係の役職の人と一緒に開けるように伝えた。幸いそれからはそれを実行する機会はなかったが、他の人たちはどうだろう。危機管理とは、そういうことも含めて考える必要があると思う。

 そんな大袈裟なことでなくても、職員には、自分の係分担で急に判断・実行しなくてはいけない時、自分が出かけていた時はどうするか考えて用意しておくように伝えた。避難訓練でも、職員に「あの人がいない時は、これは私の仕事だな」と自分の立場をよく想定しておくように伝えた。身体の話から社会的立場のことに話が飛んでしまったが、今「終活」が話題になるように、自分に起きるたくさんのことを想定して準備することが、幸福な老いにとっても大事な気がする。毎日何となく過ごすのでなく、気をつけて過ごすから「そんな奴の方が長生きするんだよな」となるのだと思う。(続く)