老年期心理からスタートして、幸福な老い“サクセスフルエイジング”について考えてきたが、どうしても意識の問題に偏ってしまうので、「身体編」と絞って話を進めたい。それでも、根底にはやはり当人の意識が重要であることには間違いないので、似たような説明になってしまうかもしれないがお許しを。
医学的なブログではないので、私の日頃感じていることを中心に手をつけていこう。退職し余裕のある日々を過ごしたいと誰もが思うだろうが、けっこう身体面では課題が押し寄せてくる。他人事ではなく私もよく生きていたねと言われる大きな病気と向き合っている。
もう10年以上前だが、小学校の管理職をやっていた時、突然倒れて救急車で運ばれ、HCUで2週間余りを過ごした。階段を一番上から転げ落ち脳を打ったらしい。なぜか自分にはその記憶がない。たまたま近くにいて音を聞きつけた人が駆けつけて対応してくれたが、さもなければ死んでいただろう。脳内の大きな出血が2箇所(両側のこめかみの付近)で起きた。脳の方は、手術もせずに薬で落ち着いてきたが、HCUにいる間に心臓が3回止まり、結局ペースメーカーを埋め込んで落ち着いてから退院できた。何が原因か、心臓が止まって意識をなくし階段を落ちたのか、階段を落ちたため心臓が不調になったのかよくわからないが、内容からするとお医者さんによってはよく生きていたねと言われた。
仕事に復帰しなんとか退職まで全うできたので良かった。自分の体験を苦労話のように大学の合唱サークルのOB会で飲んだ時話したら、先輩から「そういうやつの方が長生きするんだよな」と言われた。私は、「むっ」附属にいた時どれだけハードな毎日を過ごしていたのも知らず、気楽なことを言うなあと思ったが、今になってみると、ある意味「本当だな」と思う。
心臓の病気は、爆弾を抱えて生きているようなもので、外見には障害者には見えない。しかし、突然おかしくなることもある。だから普段から気を使って生きることを求められる。そこが大事なのだろうと思う。とかく人間は困ったことがあるまでは、「まあ、このぐらいどうってことない」などと無茶をして過ごしておきながら、病気になると「あの時無理をしなければよかった」と思い反省する。でもよくなると平気で夜中まで大酒を飲んだりする。
やっぱりまた本人の日々を過ごす意識の問題に戻ってしまった。でも先輩の言った一言は大事だと思った。長生きできる「そういうやつ」になりたいものだ。(続く)