「楽しい」を追求してきて、結局その人の物事の感じ方、受け止め方、そしてそれを元にした次なる行動の起こし方によって、同じ事柄でも「楽しい」が違うと思った。脳科学で面白い記事を読んだ。(詳しく知りたい人は、「ニュートン別冊“脳とは何か”26ページ」を参照してほしい)
ネズミに見立てたロボットAとロボットBは、エサ(充電できる電池パック)を見つけようと移動する。すぐ近くにあるエサにはもちろんどちらもたどり着いて充電する。もう一つのエサは、大きな障害物の向こうにあって、ぐるっと迂回していかないとたどり着けない。Aは、①前に進み、②左に曲がり、③再び方向を変えて障害物を迂回し、目的のエサ(電池パック)にたどり着いて充電した。ところが、Bは、同じように①前に進み、障害物の前で動かなくなってしまった。二つのネズミ型ロボットの行動の違いはどこから生まれたのだろう。
その原因は、二つのロボットの頭の中にある“報酬の割引率”の違いだそうだ。ロボットBは、①②③と行動することを想定した時、自身のバッテリー消費を大きくとらえるようにできていて、迂回してまで充電しにいくのは無駄だと判断したのだ。逆にロボットAの報酬の割引率は少なく、迂回してもそれより多く充電できると判断したのだ。
これを脳に置き換えると、脳の線条体に短期予測をする部分と、長期予測をする部分があって、セロトニンの量を一時的に増減して与えると、目先の報酬を取るか(短期予測)、少し未来の報酬を取るか(長期予測)に変化が生じるというのだ。
われわれが生活する上で、買い物一つとっても、「これはすごいお得です」などと言われて購入し、後で後悔することはよくある。長い目で、様々な情報を整理して本当に欲しいものを買うというのはけっこう面倒なものだ。色々な活動をしていて、「良いことだ、大事だな」などと思うことがあっても、それにたどり着くには、いろいろ乗り越えなくてはいけないことがあるとする。そんな時、そこまでやることにどれだけ意味があるだろうかなどと、自分を正当化して無理をしないことを自分のためと思わせてやめることもある。
この教育心理研究室で、物事を良い方にとらえて、ポジティブな行動をすることを大事にしているが、もちろん実際の場面では簡単なことではない。「無理」をしてはいけないし、する意味もない。ただ、色々乗り越えた経験をした人は、「あの時のことを思えばできるかもしれない」と、乗り越えることそのものが、ある意味で得意分野で喜びを感じる人もいる。でも、できれば、そんな難しいことを言わずに、「笑顔で、無心で、日々を過ごして欲しい」ものだ。(続く)