これが自分 その19

「老い」とどう向き合うか、今日は心理的変化についてみていこう。

 昨日の続きだが、仕事をやめるなどの社会的変化で非常に限られた人間関係で過ごすことが多くなる。妻や子ども、趣味の仲間など、同じ顔ぶれで穏やかに過ごせればいいが、性格や考え方の違いがあって当たり前で、関係が近いだけにストレスを溜めやすい。話し合って解決できれば良いが、身内というのは、理性ではなくて感情の世界が先に立ってしまう。女性の方が日頃からおしゃべり仲間の関係が豊かなので良いが、男性は不満が溜まると発散できず、怒りをストレートにぶつけてしまったり、逆に塞ぎ込んでしまう。

 大事なことは、夫婦だからこそ互いの個性を尊重し合い、それぞれの得意とするところで支え合う関係を維持することだろう。「濡れ落ち葉」という私の大嫌いな言葉があるが、奥さんが出かけるのにいちいち行き先を聞いたり用もないのについて行ったりなどと、鬱陶しがられるのはますます関係を悪くする。もう一度、自分の存在する場所、役に立てることを見直し、新しい社会的関係を構築していくことだと思う。例えば、趣味も楽しむだけでなくサークルの活性化に協力するとか、地区の役員も仕方なしやるのではなく、自分の過去の経験を生かして良い評価をもらうとかもう一歩高めを狙っていったらどうか。私も、教員を退職して、地域公民館の役員、組長、部長など連続で地域の仕事を引き受けた。組長をやった時は、単に配り物をするだけでなく、通信を作ってわかりやすくして一緒に配布した。ある高齢の女性だが、配り物を持っていくとしきりに今までで一番頼りになる人だと会うたびに褒めてくれた。ただ、問題は、他にもOB会やサークル、市や県の施設の運営委員などいろいろ役員をやっているので、地区の役員が次々回ってきそうになったのは困った。

 あと、家族とは、それなりにお互いのプライバシーというか、自分の好きなことをやる時間の保証が必要だと思う。一番近い関係だけに自由は大事にしたい。我が家は、もともと二世帯住宅で、親が亡くなってからは、夫婦でそれを使っているので、トイレも台所も二つあるのはありがたいことだ。好きな時に、長い時間トイレに籠れる。

 身体的変化については、やむを得ないことも多いが、今まで触れた社会的変化や心理的変化が大きな影響を及ぼすことは考えられる。次回はそれについて考えてみたい。(続く)