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これが自分 その17

 現役時代の自分の能力を活かせなくなるのは確かに寂しいことだろう。ただそれは形を変えて世の中に生かしていく方法はいろいろあるように思う。以前、スマートエイジングを取り上げた時、その辺は扱ったので、今回は「老化」に焦点を当てていきたい。高齢者という世界の入り口に立っている60代の人にとって一番聞きたくない言葉かもしれない“老化”についてもっと整理してみたい。

 まずは「社会的変化」が誰にもある。退職し仲間に見送られ勤めを離れる。役職も無くなる。Facebookで使っている私の写真は退職した時、歴代のPTA会長が連名で贈ってくれた大きな花束を抱えている。しかしそれは公立学校教員・校長としての社会的つながりがなくなるという人生の大きな橋を渡ったことになる。多くの人は(特に男性)、趣味の仲間、身内などの狭い人付き合いに限定されることもある。そして次第にその大事な人との死別もやってくる。

 二つ目は「心理的変化」だ。ふさぎがちになったり頑固になったりなど人それぞれだ。特定の人との限られた交流の中でストレスが溜まることもある。穏やかに支え合える家族であれば一番良いが、感情を隠さなくなりやたらに怒りをあらわにすることもある。

 そして三つ目が「身体的変化」だ。目や耳の衰えや足腰の弱くなることは程度の差こそあれほとんどの人にある。なんとか健康を維持しようと努力はするが病気がちになって、いっそう衰えが進むことも多い。そういう私も今年になって、良性発作性頭位めまい症となり、薬を飲み続けているが、定期的にふらつきや吐き気を模様す。

 このような誰にも訪れる「老化」とよく向き合い、どこに原因があり、改善策は何か考えることがとても重要だと思う。死因の「老衰」という言葉は間違っているという論も読んだ。人の命がなくなるのには必ず特定の原因があるというのだ。医学もどんどん進歩している。人生100年時代、なんとなくではなく積極的な気持ちで改善策を自身で工夫していきたい。(続く)