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これが自分 その16

 私の後の世代は、年金の関係で定年後も生活の糧を得るために働くことが求められている。今後働くことはさらに延長されると思うが、どのような働き方をするかは非常に選択肢が狭い。収入を当てにせず自分の興味のあることに取り組めるのが理想かもしれないが、生活レベルの保持に課題を伴う。ただ、教員の世界は、子どもたちを育み、未来の社会をになっていると思えるので、少々仕事が辛くても生き甲斐は感じやすい。ただ、自分の築き上げてきた仕事や役職を離れて補助的な仕事が増えることを考えると意欲を持ち続けることは難しい。どこまで本音かわからないが、嘱託職員として教育委員会の仕事をしている仲間と会話すると「なかなか辞めさせてもらえなくて…」などと、やや引き気味の話が多いのは事実だ。

 私が公民館の講座で取り上げる米国の心理学者コーエンの退職した世代の意識の研究がある。それは3000人を超える退職者に、退職後の生活で最も不満を抱えるのは何かと尋ねると「現役時代に卓越したキャリアを築いていたのに、退職後にそれに匹敵する充実感を味わえない」というものだそうだ。役職名で呼ばれていた生活から、その肩書きがなくなり、元部下と会っても、なんと呼んで良いか困っている様子で、名前を覚えてもらっていなかった自分だということに愕然とすることは多いのだろう。自分は何者かというアイデンティティーをどういう形で繋いでいくか大事に見ていく必要がある。(続く)