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これが自分 その11

 素敵な子どもたちがこれまでもいっぱいいたはずなのに気づかなかったのは自分のせいだと思うようになった私の40代。もっとしっかり子どもと向き合う教育の道を探り、そこで出会った子どもの純粋な生き方に学ぶことの素晴らしさを仲間達にも伝えたいと真剣に考えるようになった。中年期の心理不安はその分かれ道に立っていると思う。何を見て、何を考え、新しい確かな一歩を踏み出し、視野を広げて社会に自分のアイデンティティを生かしていけるようになった時、自分の生きる意味が格段に高まると思う。

 この頃私が出会った子どもたちの素敵な事例はたくさんあるが、ここで触れていくと重くなり、本題から外れそうなので、後日、教育者としての授業研究のあり方としてシリーズでブログに残していきたいと思う。簡単な思い出話的に触れるだけにしよう。

 私は附属を出てから、音楽の授業は一方的な指導ではなく、児童が自分の想いを込めて歌う進め方を大事にした。仲間と二人組で問いあいながら歌ったり、願いを発表して皆の前で二人で歌ったりというような授業だ。Y君は、日頃はとてもひょうきんで、音楽の授業でもよく替え歌にしてふざけたりという子だった。そんなY君がある時、普段とは違う姿を見せてくれた。三善晃作曲の「雪の窓辺」を歌っていた時だ。

 歌詞は「♪窓の外は雪が流れてる。ごらんよ、あの雪は2月の蝶々よ。(途中略)楽しいことやつらいこと、今年もいっぱいありました。」というものだった。色々な仲間と追及しあって最後の発表場面で、Y君は友だちのT君と二人で前に立ち発表することになった。歌い始めてじきに、ややハスキーなT君が高い声がかすれてやめてしまった。普通ならそこで止まるはずだが、Y君は一人で最後まで歌い切った。クラスの仲間は驚いて真剣な眼差しで聞いていた。皆知っていたのだろう。途中でやめたくない理由を。

 Y君は、前の年の春休みに、母親が姉二人を連れて家を出てしまい、一人、父と祖母の元に残された。寂しかったのだろうが学校でそれを話題にすることはなかった。しかし小さな村でそんなことはみんな知っていたのだろうと思う。遠足に行って、歩いていると背が高い方だったのに、いつの間にか先頭を歩く私の横に来ていて、気がついたら手を繋いで歩いていたこともあった。いつもふざけている姿からは想像できないつらいことを一人で抱えていたのかもしれない。「♪楽しいことやつらいこと今年もいっぱいありましたー。」歌いきりたかったのだと思う。歌声にのせて自分の1年を振り返っていたのだろう。

 彼はこうして音楽が好きになり、6年生の時は、市の合同音楽会でソロを立派に歌った。中学進学の時、母親の元に引き取られたということだが、そこで合唱部に入り(男子一人)コンクールで成長した姿を何度か見ることができた。

 子どもたちが歌う時、その背景にその子の人生があるといつも思うようになった。その頃まとめた教育研究事例は、このY君と同じように、その子の表現にその子らしい背景、個性的な生き方を読み取ったものが多い。興味のある人は「長野市の教育第9集」を参考にして欲しい。教育とは、教え込むものではなく、その子の中にある宝物を見つけ、その子が確かな一歩を歩めるようにするものだと思う。