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これが自分 その9

 体調不良のためブログ更新を再び休んでしまった。強烈なめまいと吐き気に襲われ苦しかった。1月は市民病院の緊急外来で診てもらい、吐き気留めで症状がおさまったため、そのままほおっておいたのがいけなかった。ひと月たって苦しんだことを忘れた頃、土日にやった作業で無理をしたせいか再び発症。でも今回は家から歩いて行けるところに、耳鼻咽喉科・めまい科という医院ができたことを教えてもらえて、すぐ診てもらった。病名は「良性発作性頭位目眩症」とのこと。以前階段から落ちる事故の後遺症なのか、加齢によるものなのか原因はわからないが、改善の薬を飲んでなんとか時々ふわふわする程度におさまってきている。

 さて、前回は中年期への移行にかかる心理に触れたところで止まっていた。私にとってもこの頃はのちの人生を方向づける思い出深い日々だった。長くなるので今日は簡単に項目だけ上げておこう。

 附属松本小学校での厳しく、しかし自分の人生の新しい扉を開かれた思いの3年間を終えて、長野市へ帰った。今は閉校になった更府小学校で3年間高学年の担任、次に初めての中学校勤務となる相森中学校で5年間を過ごし、研究主任・教務主任として学校を引っ張る立場として過ごした。どちらも市の研究委員としてもリーダーシップを取ることになった。

 目指したことは、附属で学んだこと、自分の実践したことが一般の公立校でもできなければ嘘になるということだった。単なる思い出にはしたくない。守るべきことは、「子どもたちの中にある素敵な姿を見落とさない」ようにして、「その子らしい伸びる力を引き出してあげたい」ということだった。それについて改めて思い出し整理してみたい。(続く)