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これが自分 その4

 青春期の心理について考えてきている。アイデンティティクライシスは、ある意味で、経験すべきことかとは思う。悩み解決を模索することで、社会の奥深さと自身の生き方を見つめる。そして乗り越えた時の強さは人生を豊かにする。今まで出会った子がそんな強さを持っていてくれるといいが。

 校長をやっていた時、修学旅行の引率で東京へ行った。国立博物館の出口付近の広場に、分散で見学をしていた子たちが集まり始めていた。私が行くと、そこにいた6年生の女の子が私を見つけていきなり抱きついてきた。何があったのかわからないが「校長先生!」と嬉しそうに。驚いたが、「おー、楽しかったか、よかったね。」などと声をかけ並ばせた。

 その子は、以前研究授業でクラスを訪問した時、目の付け所が面白く独特の感性を持っていた。私の校長講話にも良い感想を寄せてくれて、私も関心を持っていた子だ。他の子たちも大勢いるところでの突然のハグで驚いたが、何かよほど慕ってくれているのだなと思った。

 その子の卒業を見送り、私も退職してなんの繋がりもなくなったのに再び出会った。私が教育委員会に入って、山の小さな中学校へ公民館の講座の関係で訪問し、家庭科の授業を参観した。なんとその子がいて目を合わせた。なぜこんなところにいるのかわからないまま、挨拶はしたが、向こうも驚いたようだった。校長先生に聞くと詳細は書けないが、親とうまくいかず、児童相談所に保護されて親に居所を知らせずそこにいたようだ。もう成人しているはずなので無事社会人となってくれていれば良いが。

 おそらく6年生の頃から自分の居場所や生き方について親とうまくいかず、「自分をそのまま理解してくれる先生」「校長先生のお話が好き」と、私に親近感を持っていたのだろう。何もその子の行為の背景を探ろうとせずちょっと変わった子として受け止めていたことが悔やまれる。親が自分の考えを子どもに押し付ける時、「お前のために言ってるんだよ」というのがほとんどだろう。「お前のため」とは何だろうかと改めて思う。(続く)