アイデンティティーの確立について、昨日に続いて扱いたい。理論的なことを受けて自分の人生を振り返ってみたい。
アイデンティティクライシスは、私にもなかったわけではない。中学で尊敬する先生に出会い、合唱の道に誘われ、自分の存在感を実感することができた。でも「合唱と教育」が、統一したものとしてあったわけではない。大学を卒業する時、自分の進路で揺れた。すでに教員採用試験に合格していたが、長野でたくさんの仲間と楽しむ合唱、自分がリーダーとして活躍の場を任されていた誇りを離れて、長野県のどこに行くかわからない教員の道を選ぶことが、長い人生にとって良い事なのか迷った。学生結婚していた妻も、同じ合唱のリーダーとして活躍していた。長野にいて、親とともに住んで、安心して好きなことができる方が良いのではと思った。地理科で学んだ自分が、夏休みに地図作成のバイトをしていたせいもあるが、地理関係の会社に入って、長野で合唱から離れずにいた方が良いと思った。
しかし、そんな仕事が簡単に見つかるはずもなく、教員になった。そして教員の仕事を続ける中で、子どもたちと音楽をする場は多く、気持ちは次第に落ち着いていった。ただ2校目の僻地の小学校で2年過ごし、6年生を卒業させた時、もう少しその学校を続けた方が待遇面では有利だったが、長野へ帰った。そして、懐かしい仲間と全国コンクールに出場したり、運営したり、ウィーンへの演奏旅行したりと、教員を辞めてもいいほどの熱中ぶりだった。城山小学校で、音楽専科になり、合唱と教育の両輪が繋がり、やっと自分のアイデンティティが確立したと言って良いのかもしれない。(続く)