· 

人生は自分発見の旅 その23

 平成22年、「長野市児童合唱団」の世話係を校長会の係の一つとしてお引き受けすることになった。長野市を離れて他郡市、国立大学での勤務を経て13年ぶりに戻った長野市の学校だったので、市内の実情をよく知らないまま21年度の反省とすでに作成してあった22年度の計画を見て、その課題の大きさに驚いた。

 長野冬季オリンピック(1998年)を視野に入れ、長野市の音楽文化向上を目指して1994年(平成6年)に団員126名で設立された合唱団だが、設立から17年目で活動終了を検討される状態だった。前年の反省を見ると、団員数57名(小学生)、毎月1回程度で年10回の練習日。発表は毎年2月のハートフルコンサートのみ。会場借用や指導者の負担など、存続が難しく、例年は3月に希望者を募って発足しているのに、この年は、募集しておらず、「存続の意味を検討し直す」とのまとめだった。課題はもちろんあるだろうが、団員が57名もいるのに活動をなくすとは驚きだった。誰のため、何を目指した活動だったのだろう。

 今思うと、もう一年遅く長野に戻っていたら、この合唱団は無くなっていたのだろう。私の人生にとって大きな思い出になっているウィーン楽友協会合唱団演奏会賛助出演も、この合唱団を発展させてスタートすることになった「長野市芸術館専属ジュニア合唱団」設立もなかったのだろう。しかし、他の人に負担をかけずに運営するということは簡単なことではなかった。自分の限界との挑戦が続いた。これも振り返れば「自分発見の旅」(続く)