「好きなことに取り組む」の続き。「楽しい」「面白い」がスタートだろうが、次第に熱心になっていくのは、ワンランク上の「技」や「智」に触れてくるからだろう。そして、単にレベルが上がるだけでなく、「善さ」が絡んでくるように思う。
私の好きな「合唱」を例にすれば、練習を重ねることで、良い声で表情豊かに歌えることは、「面白い、楽しい」を超え、合唱の「素敵さに触れ」より「熱心に取り組みたくなる」ことにつながるだろう。その上に立って「善さ」は、自分の「心地よさ」だけでなく、合唱することが他の人と「心の交流」に繋がったり、発表を通して「社会的な価値」を育むことであったりと、3つの要素があるように思う。
附属で研究の講師をお願いしていた佐伯胖先生にお聞きした話だ。幼稚園生ぐらいの子が家で落書きをした。親が見つけて叱り、理由を言って諭した。すると、反省したのか、別の場所にも案内し落書きを悲しそうに示した。正直に言ったことを認めて、反省したことを誉めた。すると続けて他にも書いた場所を案内し次第に嬉しそうになっていった。この子にとって、正直に言うことで、自分が心が軽くなったり、親からもよく教えてくれたねと認められたり、良いこと悪いことの判断ができる自分をうれしく思ったりと、上に書いたような三つの観点で「善さ」を感じたのではないだろうか。
村井実先生著の「新教育学のすすめ」では、それを「こころよさ」「こころやり」「こころくばり」と三つの構造に表して、「善さのの構造」と説明している。その子のように「善さの構造」にハマった時、辛いことも喜びになる。「好きなことに取り組む」ワンランクアップにつながる。本物(一流)の道が見えてくる。