なんとなく というか成り行きで始めた合唱も、高校時代には指揮者を引き受けるところまで本格的なものになり、大学進学という一生に関わる道を選択する場でも、それが1番の大きな動機となった。結果から言うと、このマルチステージの時代を思うと良かったと思う。机に向かって勉強するだけでなく、自分の考え・技能を練り上げ、よりレベルの高いものを追求する生き方を育むことができた。職場はもちろん、それ以外でも尊敬したくなる先輩との出会いなど、人生を豊かにするパワーをもらった気がする。ソーシャルキャピタル(人的関係資本)という言葉は校長になってから知った言葉だが、その恩恵はここでは書き切れないほど味わった。
大学の合唱団はとても面白かったが、後日整理することにして、今日は、市民合唱団に入ったことを紹介したい。
長野に全国レベルの本格的な合唱団を作りたいと、いくつかの合唱団の中心になっていた人たちが相談して新しい市民合唱団を作ることになった。高校の合唱班OB会の中心になっていた先輩がその中心メンバーで、合唱団発足にかけた思いを語り、一緒にやらないかと誘ってくれた。そのロマンの大きさやビジョンの素晴らしさに惹かれ入団することにした。高校時代にお世話になった音楽の先生が指揮者というのも大きな要素だし、混声合唱の経験はぜひ積んでおきたかった。100人を超える大合唱団創立メンバーの一人に名を連ねることができたのも人生の大事な思い出だ。
入団して、バスだけで20人もいるようなパートで、しかも自分が一番若いのにパートリーダーを仰せつかった。同年代の学生同士で活動するのとは違い、社会で活躍する年齢の幅広い人とのお付き合いはとても刺激があった。練習後は毎週必ず飲みに行った。盛り上がると真夜中まで飲みあった。気楽な学生生活の私とは違って、明日の仕事を持っている人たちがあんな遅い時間までよく付き合ってくれてものだと思う。会話の内容も仕事に向かう姿勢や人間関係のことなど、自分が社会の一員として存在することを実感させてくれた。今振り返ると、大学で専門の地理や音楽の勉強以外は、なんとなく単位を取るためで、そこにいるだけだった気がする。むしろリーダーシープを働かせた部活動や社会人との付き合いの濃かった市民合唱団活動の方が、のちに人を育てる立場に立つ時、非常にその基盤になる力を育ててくれた気がする。受け身ではない、自分自身の生き方が問われる場だったことが大きい。