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人生は自分発見の旅 その4

 高校時代はかなりのエネルギーを合唱に振り向けた。3年で指揮者に選ばれ、より良い演奏を求めることに専念できた。音楽の先生はとても力のある先生だったが、一人で吹奏楽、管弦楽、合唱と部活の指導にあたり、コンクールや発表会以外はほとんど学生指揮のもと自主的な運営だった。先輩や仲間から学ぶことも多く、また近くの女子校の合唱班と交流するなど、活動的な青春時代だった。

 大学への進学に合唱がかなり大きな要素を占めていた。当時男声合唱で有名が大学がいくつもあった時代だ。慶應や早稲田よりなぜか関学や同志社といった方に惹かれていた。迷った結果、尊敬していた大学生の先輩に相談に行った。そこで、その先輩に地元の信州大学を勧められた。先輩もそんな道を探っていたが、教員を目指していたので信大に入った。1年生の学生寮の風呂で誰かが歌い出した男声合唱の定番の曲に、一緒に風呂に入っていた他の男がハモらせ、意気投合して知り合いを誘い新しい合唱団を作った。そしてその先輩が指揮者としてリードすることになったが、それが思いの外面白い合唱団になったと語った。

 その面白いエピソードを交えた話に引き込まれ、自分もそんな身近なところで男声合唱が楽しめるならいいなと思い信大教育学部へ進学することになった。他に素敵な女性との出会いもあって一緒の大学・学部に進むことができることも重なって、教員の道を選ぶことになった。

 人は、人生において大きな選択を迫られることが必ずある。その時、自分の置かれた状況の中で、大きな要素となるのが、関わった人たちであるように思う。その先輩とは、今でも多くの時間を合唱と教育を通して関わり続けることになっている。時々ふざけて、私が教員になったのは先輩の言葉から決めたことですから、何かあったら責任を取ってくださいなどと好きなことを言っているが。