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後輩の甘さを指摘することが、自分サイドだけで発せられていないか

 前回の続きで「◯◯たる自覚」と「パターナリズム」について、附属に文部教官としてお世話になった時のことで、印象に残っていることを記録したい。

 平成の初めごろ附属小学校の音楽専科教員として3年間務めた。一年目は、公開する道徳の研究グループの一員として研究に参加した。校内での研究授業を重ね、その分析や本番の公開研究会に向けて議論を深めていた。1時間の道徳授業の前半に資料Aを出し、問題意識を高め、それぞれの考えを深め合う。途中で続きの資料Bを出し、考えの深まりや転回を図る。最後に自分の考えの高まりをまとめさせる。

 それで疑問に感じたのは、最初の資料でほとんどの子がAに寄り添った考えをしているのを、それを揺さぶるBの資料で変化させて、1時間の授業でいかにもその子の考えが深まったように流すことだった。Aという考えからBという考えに変わるのは深まったのではなく、単に資料からそういう意見を出すのが自然だからだ。いかにも決められた台本のように進むものを目指していることに違和感を感じた。考えが変わるのと深まる(高まる)ことは違うと思った。そのことを係内の研究会で発言すると、先輩の教官が「それでは紀要が書けない」と言った。一年目の新米で研究成果をまとめた「紀要」という物を作った経験のない自分には返す言葉がなかった。30年過ぎた今でも忘れられない場面だ。子どもたちの授業を通して変容していく姿は大事だ。しかし、もっとその子らしい多様な意見が出る授業ではダメなのだろうか。そんな甘い考えでは附属の研究はできないと突き放された思いだった。

 ただ、研究そのものは高いレベルだった。今振り返っても非常に子どもたちの当たり前の考え方を揺さぶり、高い次元の考えを引き出す方向で良かったと思うので誤解しないでほしい。しかし、授業というのは教師がいかに子どもたちをねらった方向に導くかではない気がしたことと、研究することの意味を「紀要が書けない」と形を守ることが優先のように言われたことについて、今思うと、パターナリズムの風を感じる。その後、今でも道徳とは何かは私の大きな研究テーマだ。(続く)