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「◯◯たる自覚」という言葉で、服装まで非難されることの意味

 以前取り上げた牧野篤著の「農的な生活がおもしろい」を読んでいた時、印象深く目に止まった記事があった。“「官」から「員」へ”という項で、牧野氏が民間の研究所から国立大学の職員として勤めることになった時の話だ。

(一部原文のまま引用)研究所で自由な雰囲気の中で勤めていた頃はいつもラフな格好でいたので、そのまま大学でも同じような格好でいたら、年配の先生から「君は、文部教官たる自覚はあるのかね?」と声をかけられたというのだ。意味がわからず問い返したら「だから、君は、文部教官たる自覚はあるのかねと聞いている」とおっしゃる。何を問われているかわからないまま、「はあ、文部教官であることは知っていますが、その『たる自覚』って何ですか?」と聞き返したら、えらく叱られた。「ちゃんと服を着てこい!」と叱り付けられたということだ。

 牧野氏はそれからも、ちゃんと服は着ているので、その後もポロシャツや綿シャツで過ごしたら、そのうち、まわりの先生方もネクタイをしなくなり、ポロシャツどころTシャツで出勤する人までで始めたとのこと。

 自分も文部教官という立場で勤めたことのある者なので、当時のことが思い出され心が揺さぶられた。今は国立大学も独立行政法人化され、昔とは雰囲気も変わってきているし、世の中全体もクールビズなどという言葉が頻繁に使われ、着る物などへのこだわりは大きく変わったが、ここで気になるのは、「たる自覚」という言葉だ。退職した人の生き方を研究する中で気になるのが、「パターナリズム」という言葉だ。自分の経歴の中で経験したこと、大事にしてきたことがとても重要で、それに外れたことは許せない。いろいろな組織の先輩役員などが、「今の連中は……」などと、自分の思う形とずれることは許せない意識が強い。特に男性に多い気がするが。地域の役員などボランティア的にお願いしてやってもらっていることまで、地区の総会などをやると、一番厳しい意見を言うのが先輩役員だったりする。これは社会教育主事として多いに検討するべきことのように思う。(続く)