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「無いものねだり」ではなく「あるもの探し」で豊かさを

 今日、部活指導の帰りに車を運転しながらたまたま耳にしたニュースが面白かった。片手間に聞いていたので間違いがあるかもしれないが、小学校4年生の女の子の人生相談が人気だそうだ。大人とは違う発想に驚かされ、そのシンプルさや角度の違うものの見方が面白いらしい。

 印象に残った相談は、ある若者から「自分は欲しいものがたくさんあって、一番欲しいものをどうやって決めていったらいいのだろう?」との内容。それに対しての返信は「あなたは大事なものは全て持っていると思いますよ。」とのことで、うーんと唸ってしまう。どういう意味だろう。

 とかく人は「無いものねだり」で、他の人が持っていると自分も欲しくなる。でもよく考えてみれば、天からもらったこの体で、日々それなりに目的を持って生きていることをありがたいと思うこと以上に大事なものはない気がする。欲しいものに追われるうちに、かえって苦しんだり切なくなったり…、不満が蓄積していくこともあるように思う。欲しいものがあって当たり前だが、それに振り回されてはいけない。

 私が社会教育主事をしていた時、上越の高田だったかな?雪深い地方の町おこしが話題になっていた。「町おこし」というと、すぐによその町にあるような立派な施設を作ったり工場を誘致したりと、何か他所に負けない財を手に入れたくなるものらしい。でもこの町では、昔からある雁木(ガンギ)という家の軒先を伸ばして雪を防ぎ歩き易くする仕組みや角巻(かくまき)や「とんび」といった昔からある防寒衣装に目をつけた。その風情を楽しんでもらう「あわゆき道中」と名付けたイベントを開催して、訪れた人に雪国の知恵を味わってもらうなど面白い取り組みで人気があるらしい。「無いものねだり」ではなく「あるもの探し」だと思う。雁木は雪国の人の連携の素晴らしさを感じさせるものだ。

 最初の大人の相談に少女が答えたことは、受け止め方によっては、そんなこと言ったって欲しいものは欲しいと言いたくなる人も多いと思う。でも自分の中にある大切なものを見つけて、長い人生を豊かに暮らす道があるはずなのに、「一流の◯◯」を目指して競い合い、みんなで同じ土俵で勝ち負けばかりに目を向ける人生に追われていいのだろうか。もちろん私も若い頃は高度成長期にベビーブーム世代の競争で学校の成績を気にしていた年代だが‥‥。自分の持っている「あるもの探し」は大事にしてきたつもりだ。