自分のアイデンティティの中心に位置する合唱、しかも教育の道で生きてきた自分のキャリアを活かせる仕事である中学生への合唱指導を引き受けることになったのはありがたいことだ。昨年度から中学校合唱部の部活指導員として年間300時間以内という仕事を依頼された。今年はコロナ騒ぎで去年のように土曜日や夏休みの指導をすることはできず余裕のない時間、しかも発表の場も見えにくい中での活動で残念だったが、生徒たちとより良い合唱を求める時間は大切だった。
今、教育委員会から指導に関する報告を求められているが、その第1番目が「生徒にとって適正な部活動とはどのような活動だと考えますか」という質問だ。私も昨年初めて生徒に会った時、「どんな部活にしたいの?」と聞いた。生徒は難しい顔で考え、何人もの子が「楽しい部活」「仲のいい部活」と答えた。教師によっては「現実は甘くない。楽しければなんでもいいのか」などと切り返してしまいがちだ。厳しい練習を乗り越えて成果をあげるからこそ頑張った意味があると大人はわかっているから。
ただ、「楽しい」のは誰だって望んでいるはずだ。私は「楽しいの意味を活動の中から見つけようね」と話した。生徒と活動する中で、「楽しい」にもいろいろな意味があるように思う。「友だちと仲良く話せた」「歌を楽しく歌えた」からスタートして、「今日は、高い声をうまく出せた」「パートの声がそろっていてよかった」など乗り越える楽しさになり、次第に「楽しい」の中身が変わっていく。部活動をする意味、仲間と通じ合うことの重さなど難しいことに目を向けくる。ただそれには、自分を振り返る場が必要だと思う。教師の指導に一生懸命ついていくだけでなく自分を立ち止まって見つめる場が欲しい。去年は時間も多くあったので、全員にノートを用意させ、時々振り返りを記録させた。「自分の人生の主役は自分」「自分の先生は自分」など、自分を対象にもう一人の自分が見つめる機会をとった。
今年の文化祭を振り返った部員の言葉を少しブログに紹介し記録として残したい。
「……この3年間いろんなことがあったけど、私にとって合唱部は必要不可欠な場所だったんだなと思いました。本当に良い時間でした。」
「……、『自分がもしあの時…』と思っても過去は変えられません。なので、“あの時”じゃなくて、“今” 何をやるか、何をすればいいかと考えられるようにしたいと最近思っています。部活をやっていて、やる前とやった後では考えが異なることを知りました。部活をやらなければ得られなかったことはたくさんあると思います。…」
教育心理研究室長として、脳科学や心理学を通して生きることの意味を見つめていきたいが、育ち盛りの若者が自分なりに精一杯やろうとしている日々を見つめていられることは、単なる知識でなく実践と結びつけながらマルチステージ化されていくこれからの社会で人はどう生きていくべきか考える大事な場である。