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若者にとって「現実」とは何か

 大人が若者に向かって言う「現実の厳しさ」って何だろう。そう考えた時すぐ浮かんでくるのは、劇作家・演出家の平田オリザ氏が書いた“幕が上がる”という小説だ。確か平成27年にももクロが映画に出演して話題になった。地方の高校の演劇部の悩みと舞台への挑戦を描いた作品だ。映画ではわかりにくいが、小説を読むと登場する高校生たちの向き合う「現実」の意味が大きなテーマとして問われていることがよくわかる。

 主人公のさおりは地方のさえない結果に終わった演劇部の部長として3年生を迎える。新しい先生や転向してきた演技力のある友との出会い、仲間との葛藤の中で物語は大きく動き出す。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をベースに脚本を書き上げ、地区大会・県大会を突破して全国への思いが高まっていく。しかし、もっと大事にしたいものがあるのに見えてこない。その上、女優を目指していたけど家族の反対で教員の道を歩んでいた先生が、諦めきれず去っていく。その中でさおりが見た「現実」とは?

 一部引用する。「(本番の舞台袖から見つめるさおりの心の声)この舞台には『等身大の高校生』は一人も登場しない。たぶん、そんな人はどこにもいないから。現実の世界にも、きっと、いや絶対いないから。進路の悩みや、家族のこと、いじめの話も一つも出てこない。こっちはもちろん、現実の世界にはあることだけどやっぱり私たちの、少なくとも、今の私の現実ではない。私にとっては、この一年、演劇をやってきて、とにかくいい芝居を創るために悩んだり、友達と笑ったり喜んだりしたことの方が、よっぽど、よっぽど現実だ。この舞台の方が現実だ。

 はたして若者に言う「現実」って何なのだろうと考えた時、大人たちは、彼らが将来出会うかも分からない社会の厳しさを伝え、今の甘さを修正しようと利用している思いが見えてくる。その将来を深く考えもせずただ煽るために。

 我が家にとってもそれは他人事ではない。次女が中学を卒業する時、「女優を目指したい、私の行きたい高校は長野にない」と書斎に泣いてきた。ずいぶん前から母と姉に相談したが、「馬鹿、何もわかってない」「絶対無理」と言われたと。その後、今後の人生を問い合い、東京の高校に進み、演劇の道に関わる中、留学して英語やグローバルな世界に興味を持ち、大学ではそちらを選択し、社会人となって活躍している。母も姉もそれを応援し、特に母親は音楽教員の務めをやめ、寮がないので保護者同伴の条件で入った高校生活を支えた。この先は個人的なことなので後日さわりのないところで紹介できればと思うのでここまでにしておく。