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ボランティア体験を通して学ぶことの意味を考える(1)

 長野市ボランティアセンターの運営委員をお引き受けしているが、先日原稿の依頼を受けた。「サマチャレ2020」(正式名:サマーチャレンジボランティア2020)の参加者(中学・高校生)から集めた振り返りの感想をまとめたので、運営委員さんにその内容に対しての感想文を書いて欲しいとのことだった。

 これは地域の身近な施設・団体に出かけ、夏休み中にボランティア体験をする活動だが、今年は、中学生83人、高校生150人、専門学校生3人、社会人他3人、合計239人の参加があったそうだ。コロナ騒ぎの中、これだけの参加者があったことそのものが立派だと思うが、その感想も心に響くものが多かった。その中から紹介してみる。

「ありがとうと感謝の言葉をたくさんいただいて嬉しかったし、それが原動力になった。」

「ボランティアとは、いやいややるのではなく、自らやろうと思って無理なく自分のできる範囲でやると説明されて、その通りだと思った。」

「このサマチャレを通じて、ボランティアをしている側も嬉しくなれるんだなと初めて知れた」

「相手の目線になって話しかけたり接したりすることが大切だと感じました。」

「将来、(自分の)夢を叶えるために“気づいて働ける力”はとても大切だと思う。活動先の方にも応援していただいたし、今回の経験を生かして気遣いのできる大人になり夢を叶えたいと思った。」

 などなどたくさんあり紹介しきれないが、日頃の学校での学習とは違う世界で経験したことの良さを自分なりによくまとめてくれたと思う。昨日のブログで、「体で実感し、違いがわかることで、その場限りではない実践力が身に付く」と述べたが、学校で、「ボランティアとはこういう活動をいう」などと学んだだけでは見えてこないものがあると思う。それは角度を変えて見れば、学習したことを社会の中で位置づけ、「教育を受けた市民」となる大事な過程だと思う。単に「読み書きの長けた人」ではないところへ導くのが本当の教育の目的だと思う。もう一人の感想を紹介する。「社会のためになることは沢山ありますが、活動を通して自分が変わることができる。沢山の発見、気づきがある。普段関わらない様々な方々と関わることができる。様々な自分にとっての学びがあると知りました。」

 これを読んで、附属にいた時、「状況に埋め込まれた学習・正統的周辺参加」という理論を学んだことを思い出した。学習が社会とのつながりを構成し実感することで、学ぶことの意味そのものも確かなものに変わってくる。