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マイナーな専門家としての教師

 今日は信更公民館で「歌と健康セミナー1」を開催した。農繁期の上に、台風が週末に来るという農村地帯ではとても忙しい折にもかかわらず集まってくれた皆さんに感謝したい。公民館ごとに同じ指導資料、同じ指導計画でも同じ活動にはならない。集まった人の人数、経験の差、地域性、年齢いろいろな要素の違いがあり、反応が異なる。指導する立場のものとして、相手が違うにもかかわらず同じ内容・方法で指導を進めて、場の雰囲気が盛り上がらなければ不安になる。

 教師のような仕事は「マイナーな専門家」と言われる。相手が変われば同じ指導が効果ないどころか、マイナスの働きをしてしまうこともある。法律家や医者など、事実とルールにしたがって誰に対しても同じ処置をするメジャーな仕事に対し、自分を一歩下げて、相手を理解するところから本当の仕事がスタートする。

 今日は、歌う姿勢も精一杯気をつけてくれ、声の響きも比較的整っていた。良さを褒め、その良さはどういうところにポイントがあり、さらによくするにはどうすると良いかなど、指導の方向を発展させた。内容も合唱を早めに取り入れレベルを高めにした。良い感想が届くと良いが。

 教師や看護師、福祉士は、専門的な技術を学び、獲得し、資格を取って現場に出るが、生徒や患者などクライアントに向き合う時、その苦闘している相手にこうすれば良いという決められた方法はない。相手の苦闘の根本にある原因やそれを本人がどう認識しているかなど、クライアントとともに泥沼にはまって共に解決を図る実践が求められる。

 しかし、決められた解決策はなくても、そのクライアントに寄り添う専門的技術はあるはずで、その相手や状況に合わせた実践力(実践する知識や感覚、人間性も)のノウハウはメジャーな職種の人に比べてもレベルが高い専門性を持っているはずではないか。高みから泥沼で苦闘する生徒を見下ろして格付けする教師になってはいけない。