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三沢勝衛に学ぶ その2

 地理学者で魂の教育者と言われる三沢勝衛の言葉で、私が一番印象深く心に残っているのは、「一地方の特殊性は世界の普遍性である」という言葉です。

 ある地方の特殊な事例は、他に例のない特異な例と受け止められることが多いかと思いますが、三沢勝衛はその状況を生み出す原因をとことん見つめ、根本的な原因を突き止めたとき、それは世界中に通じる普遍的なことであると言っています。その詳細に興味のある人は、農文協発行「三沢勝衛著作集 風土の発見と創造」(全4巻)をぜひ読んでみてほしい。三沢は、事象を科学を駆使しつつも細分化された断片的な知見に終わらせるのでなく、「総合的」に認識しようとしたとある。原因と結果で終わるのではなく、地域という総合的な視点で見たとき、一見特別な事象と見られることでも、その構造的な理由は共通のものがある。

 教師の仕事は、マイナーな専門家と言われ、ひとつの問題事例にひとつの解決法があるわけではない。同じような状況でも、対象となる生徒によって、またその集団によって、解決法は様々である。一歩判断を誤れば、ますます混乱することもある。しかし、その背景となっている人間の有り様を見つめたとき、相手に寄り添って理解し、保護者など関係者と共に目指す方向を共有し、協力し合うとか、許すべきこと、許すべきではないことなどしっかりとした足場で指導するなど、確かな解決の見つけ方は、多くの事例に共通するものだろう。

 三沢の言葉に支えられて、世界の普遍性となるがごとく、現場の人間として事象をよく捉え、そこに生きる一人として考えることで、誰もが納得できる解決法を見失わない取り組みをしていきたいものだ。「一つの事柄をとことん見つめ、誰もが納得する解決を見つけなさい。」と、自分に言い聞かせたい。

 校長をしていたとき、児童の争い事で親までも巻き込んで騒動になったことがあった。会議が終わって学校に帰り担任から報告を受け、その問題の大きさに、「おー、それは校長の仕事だな」と私が家庭に電話し、かなりのお叱りを受けたが、その後担任と協力して解決に取り組んだ。担任も家庭訪問を繰り返し、実に細かくそのやりとりを報告してくれた。その詳細はここでは書けないが、思い出に残っているのは、その若い女性の担任が、帰省してそのことを親にも話したのだろう。親は、校長先生にお礼を伝えなさいと四合瓶のお酒を持たせてくれた。その名前が「空」で、しばらくそれを眺めながら、「無私の精神」を思い出し、哲学的だなと思った。