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地理学者・魂の教育者三沢勝衛に学ぶ

 授業における「差し手感覚」について昨日取り上げたが、私は以前長野市教育センターで音楽指導法の研修講座を担当し、教員たちに指導した。その資料を見ると、最後のまとめのところに、三沢勝衛の次の言葉を引用している。

「由来教育というものは教えるのではなく学ばせるものである。学び方を指導するのである。…既成のものを注ぎ込むのではない。構成させるのである。否、創造させるのである。」

 地理学者であり、藤森栄一や新田次郎を教えた教育者でもある三沢勝衛は、長野市信更町今泉の生まれである。私は大学で地理学研究室に所属していたこともあり、松本附属小を出て、長野市に戻り更府小学校に赴任して、とても価値のある教材になると思い研究した。

 三沢は、指導法でも色々なエピソードを残している。銀河書房発行の「風土・魂の教育者三沢勝衛」を読むと面白い。生徒がせっせとノートをとっていると、「手帳にノートするんじゃなくて、頭にノートして考えろ。」と叱った。藤森栄一の記録には、「お前ら何を書いている。馬鹿者。こんなことは教科書にみんな書いてある。後でそれを見ればいいんだ。今はナ。お前ら、どう考えればいいか、自分で考える時間なんだぞ。」三沢は、生徒自らに主体的な学習をするよう指導し、体験を基礎に学習を進めて行った。

 私は6年生の子どもたちと一緒に三沢勝衛研究を行った。生家を訪ね、話を聞いたり石碑を見たり、文献を調べた。そして自作の劇にまとめ、全校と保護者の前で演じ、最後に三沢の年表をアクリルボードに書いて学校に残した。卒業記念は、実家の石碑を拓本に取り、額に入れて図書館に飾った。三沢の教育は、全人教育だった。生き方を問うものだった。それは、あくまで風土を探求するために現場に立ち、自分で感じとり自分で考えるものだった。

 最後に重い言葉だが、「教科書は古墳にして、著作は墓場であるが、学会は戦場である」と語っている。私もこのようにブログで自分の歩みや思い出を語っているのは、墓場を彷徨っているようなものだ。単に振り返るだけでなく次の研究につなぐものにしなくてはと改めて心に思う。