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私の自分軸の向かうところは「やる気を育む」研究

 前回のブログで「自分の軸で」と書いたが、教員は、ある意味それが大事にされる職場だ。自分のこだわりや努力が、自分らしさとして学級経営や教科指導に現れてくる。誰かに指示されて真似事のようにやるのではなく、目の前の子どもたちと作り上げていく。もちろんそれはとても怖いことでもある。自分が新卒の頃、子どもたち同志が言い争いをしていて、聞いていると、怒り方が私にそっくりだった。反省してそのあとは気をつけて声を荒らげないようにしたが、けっこう忘れられない場面だった。

 若い頃は、毎年のように研究授業者に指名され、係りの話し合いの資料を作り、全校の教員の前で授業を何度もした。専門書を読み、過去の研究や他校の実践から学ぶなど、自分としては一生懸命真夜中までがんばった。でも、なかなかうまくいかない。上水内郡の重松研究(研究の大家をお呼びし、郡全体から参観者がくる授業)を30代前半でやったが、子どもたちの考えや気持ちのむいている方向とずれて、半分もいかないうちに終わってしまった。算数の「平均」の授業だったが、面白かったのは、その次の日の授業は、こちらも構えを外して子どもたちと開放感の中で進めたら、とてもスムーズに子どもたちも生き生きと取り組めて驚いた。どうも私の若い頃の研究は、熱心に研究するあまり、理想に燃えて、普段とは違うカッコ良い授業をねらいすぎていたように思う。子どもたちも慣れない環境、慣れない方法の授業に面食らったのだろう。

 雑談になってしまうが、その豊野西小学校で高学年を受け持った子どもたちとは楽しく過ごせた。お寺の息子で、弁の立つD君とは楽しくやりあって、N子さんから、先生とD君って授業中に漫才やっているみたいと言われてしまった。しかし、勉強は楽しいものだということは教えられたようで、中学へ進んでから大分良い成績の子が多くありがたい思い出だ。

 附属へ行って、音楽授業は、形にこだわるよりも、子どもの思いをしっかり受け止め、子どもたちが、自分らしさや自分の目指したい方向を生かせる授業に取り組むようになって、それが私の教員人生の土台になっている。私が「自分軸」にこだわるのは、そんな歩みの中で、「俺がやりたいことは何か」とこだわり続けてきたことが根底にあると思う。「やる気を育む教育心理研究」とりあえずは、自分のこれまでの取り組みをよく整理しながら、脳科学・心理学の本を読んでみよう。ただ専門書を読んでもよくわからないが、自分のこだわりや過去の経験と結びつけることで、ああそうかと学ぶことが膨らむ。