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「差し手感覚」と「駒感覚」

 昨日は、附属での経験を振り返って、教え方研究が、児童生徒の内にある個性ややる気の方向性をとらえ、自ら学んでいこうとする学び方研究」の要素を大事にするものであって欲しいという思いをもとにブログを書いた。

 自分の学習の歩みを、もう一人の自分になって見つめてみることが大事だと思う。そのメタ認知力のレベルアップは教育界でも大変注目されている。昨日紹介したY君は、はじめは「頑張った」とか、「仲の良い友達と歌えて良かった」という感想だったのが、次第に仲間の表現や声の良さに目を向けていく。自分を見つめ受け入れる段階から他者を見つめ受け入れる段階に入っていく。そしてその次には、自分の目指す方向性を見つけ、もっと頑張りたい意欲へと学習カードに書かれる内容がレベルアップしていく。自分をもう一人の自分になったかのように見つめるメタ認知力の向上は、単に学ぶ意思の向上だけでなく、頑張っている自分を知り、温かい心持ちにつながっていく。メタ認知力向上と幸福感の研究もあるようなので今度見てみよう。それは、私の座右の銘「自敬の念」と重なるものだろう。自分のやっていることがすてきというか、価値のあるものと思れば、少々辛いことを乗り越えることもむしろ喜びとなる。

 音楽授業研究指導をする時、若い先生たちによく伝えたのは、「差し手感覚」と「駒感覚」だ。将棋などのゲームに例えて、児童生徒を先生の動かす駒のように思っていると、思い通り動かない子は、ダメな子になってしまう。逆に、一人ひとりの子が自分の意思で動く差し手であるという感覚が持てれば、その子らしい動きで活発な授業となり、個性的な動きを見せる子は豊かさを持った子に見えてくる。音楽は答えが一つではない豊かさがより求められる世界だ。教師の指示に従って表現力や知識を高めることは大事だが、その感性の豊かさや、表情豊かな表現は閉じ込められやすい。

 長い教員生活を終え、組織の枠の中で、自分の軸では動けないことに向き合わざるを得ない生活をやめ、シニア趣味起業という言葉に惹かれて独立したのは、まさに「差し手感覚」を大事にしたかったから。こうしてブログに書き残すことで、自分を見つめているのは、これもメタ認知。生きている限り自身の向上を求め続けていきたいものだ。